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創作叙事詩「3.11日常の詩(うた)」
寺澤満春

映画監督りんたろうの作品、
「3.11日常」を観た。

タイトルは、何の装飾もなく
無機質的な事実そのもの、
「3.11日常」
3.11という時代の画期、
まさにエポックという表現が相応しい日。
東日本大震災と、
東京電力福島第一原子力発電所の事故の起こった日に連なる日常。

しかし、Post3.11のわたくしたちの日常は、
光と陰、その狭間のグラデーションの連続の中にある。
脱原発の機運の高まりと可能性、
それを見て見ないふりのままの政治と経済。
時が経つにつれ、
時代を過去にフィードバックしてしまう力が働き、
未来へフィードフォワードしようとする力が寄り切られてしまいそうな今。

創作叙事詩人としてのわたくしは、
この事実・現実にみずからの想像力を加え、
否、かけあわせ、詩を書く。
それも叙情詩ではなく、さめた叙事詩を。

映画監督りんたろうの作品、
映画「3.11日常」を観た。

よくある映画のゴールは、
観たものの喜怒哀楽の感動を視聴覚の力を借りて引き出すこと。
このりんたろうの作品にそれは期待できない。
なぜなら、
喜怒哀楽の感動などをゴールに据えてなどいないからだ。

「3.11日常」は、単なる映画でもなく、ドキュメンタリー映画でもない。
このりんたろうの作品、「3.11日常」は、
ナラティヴ・アプローチ*によるエスノグラフィー**そのものだ。
感動ではなく、立ち止まって考えること、それがこの作品のめざすゴールだ。
しかもそのゴールへの過程にいるナラティヴ・アプローチの主たちは、実に多彩だ。

あの村からもっとも遠くに立ち続けている科学者・小出裕章、
彼の物静かで諦観帯びた語りは、あとにつづく物語の通奏低音となっている。
そして、清純さを脱ぎ捨てた行動する女優・被災地ボランティアに行った水野美紀、
東北各地で出前ライブを行ってきた、謙虚なアーティストの中川敬、
2007年「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」ネット署名をしてきた、音楽評論家の高橋健太郎、
そして、経産省前で「ハンスト」をした、次世代を担う若者たち。
彼らの思いはそれぞれ異なるが、それぞれの思いに込められた意味と行動力にリスペクト。

灰色をした「3.11日常」に埋没しかねないわたくしたちに、
単純な反・脱原発か、原発推進・維持かの議論や運動を超えて、
そっと耳元で語りかけてくれる「3.11日常」。
まさに、りんたろうのこの作品は、おとなのための動く絵文字本だ。

議論や運動の輪に入っていない、
きみやボクたちに立ち止まって考えさせてくれる。
そんなさりげない、でもそこがとっても大切な希有な作品。

「3.11日常」、
少しでも多くの、
光と陰の狭間に生きる人たちに
観て立ち止まって考えてほしい。
そして、今、自分にできること、
したくなってきたことの一歩を踏み出してみたい。

そして、もし、機会があれば、
りんたろうのこの作品「3.11日常」の上映後、
光と陰の狭間のグラデーションの中に生きる一人の人間として
語り合い、奏で合いたいと思う。


解題

この創作叙事詩人であり、シンガーソングライターの寺澤満春氏が
この創作叙事詩を書いた背景には、以下のような経験が潜んでいる。

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●1978年〜2002年、中学校社会科教諭をしていた彼は、
原発の是か非かの議論をしている今も、原発のメンテナンスを黙々し続ける
「原発ジプシー」(堀江邦夫氏の同書)がいるという社会的事実を中学生に語ってきたこと。
●2007年8月6日「原爆忌」に、原爆の図のある「丸木美術館」の野外ステージで
75分間、ギターの弾き語りを行ったこと。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/event/070806/070806.htm
●2011年3.11直後の4月上旬、震災・原発事故で被災された方々へのメッセージとして
「希望のコードよ」(原曲は Leonard Cohenの"Hallelujah" )をyoutubeにアップしたこと。
http://www.youtube.com/watch?v=04GVqqLxTjM
●2011年6月〜現在、いわきの子供を守るネットワークへの加入・連携支援
福島県のある中学校の生徒・教職員へのミニ・ライブを行ってきたこと。
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こうした実践・活動歴をもつ寺澤満春氏は、わたなべりんたろう氏の作品
「3.11日常」にクールな共感をこの創作叙事詩に込めたのだと言ってよい。
ただ、このわたなべりんたろう氏の作品。
その地を離れた人々、その地に留まった人々、北から逃れてきた人々がいる
いわき市の市民と子どもたちにとって、如何に映るのか。
一度、彼らのその声を聴いてみたい。
その地に留まった「いわきの子供を守るネットワーク」の方々の「日常」と
果たして重ね合わせることのできる日常なのか・・・。
答えは、その日が実現するまで待つことにしたい。

*ナラティヴ・アプローチ:物語/語り概念による現象の描き方。
野口裕二(2009)『ナラティヴ・アプローチ』勁草書房。
**エスノグラフィー:もともとは文化人類学の研究方法「民族誌」で、
フィールドに入り込んで得た知見を仮説と解釈の導出過程を追跡しながら、
その意味を描き出した研究成果物。今では社会学・教育学・経営学などで多分野で援用される方法。
箕浦康子(1999)『フィールドワークの技法と実際―マイクロ・エスノグラフィー入門』ミネルヴァ書房。
(東京学芸大学・成田喜一郎)
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